:小学校の頃のまったく美しくない思い出話。未だに恨んでいる教師っているよね:
社会には様々な矛盾が存在している、と感じている。それが何かをはっきりと認識することもなく、私は大人といわれるようになる社会の門出を迎えようとしている。今まで生きていれば腹を据えかねることの一つや二つ、幾らでもある。その中でも取り分け、大人に対して怒りを感じていることも少なくない。その怒りは大体が学校で起きたことに向けられている。教育問題が取り上げられる度に確かに教師の問題はあるが、それを論議している大人たちは本当にどのような問題があるのか理解しているのだろうか。
「副題:勉強の仕方」
小学校6年生になって私は奈良から神奈川へと、父親の出張の都合で引っ越すことになった。昨年には阪神大震災があり、引っ越しをして初めて学校に行った時、転入生の列に神戸から来た人が多かったことを思い出す。神戸をテレビのニュースでしか知らなかった私は、無神経にも家はどうなったのかと聞いたことがある。両端の家がぺしゃんこにつぶれていたという話は、後になってからその恐ろしさを理解したようなものだった。
本題に入ろう。転入したばかりは環境の違いから、また学校を代えたという転入生独自のストレスから、周囲には様々な弊害を自分でも起こしていたような気がする。前の学校にいた時は、転入生が入ってくることを楽しいイベント程度にしか考えていなかったのに、それがどれだけ大変かを身をもって知っていた。
しかも、教師の理解が十分ではなかったように思える。学校が変わるということはその勉強の体系も異なるものにさらされるようになるということだ。はっきり言って新しい学校の勉強の仕方はとても狭義なもので、学童の勉強のスタイルを狭めるばかりに勉強の効果を減らしてしまうようなものだった。
未だに忘れられないのは、勉強をしてきたのに怒られたということだった。教科書に出てくる練習問題を私は授業が始まる前に全て予習してくるようなタイプだった。それもそのはず、前の小学校では練習問題を主に宿題で出し、授業中はその解説と答え合わせをしているものだったからだ。所がこの神奈川のT小学校では、授業中にその練習問題を解かせる。小学生の私でも感じる時間の無駄遣いだった。もちろん、終わっている私はノートを開いて、その練習問題時間が終わるのを待っていた。
「何で何もしないの」
言われて顔を上げると、しかめっ面のおばさん教師の顔が私を見下ろしていた。私は驚いてもうやっていると答えた。その時、はっきりと言葉にして言えたかは自分でも分からない。でも、その教師が次に言ったことは分かっている。その教師は問題の答えが書かれている書かれていないをちゃんと確認していないのか、
「やりなさい」
と言った。なんでそんなことを言われたのかは今でもわからない。それから予習をすることがバカらしくなったというのが、自分の中でも大きな失敗だったと思う。やりたいと思ったことを何故やってはいけないのか。どうして、自分はやったとはっきりと声を大きくして言うことができなかったのかと今でも後悔している。
分かっているのは教師が子供のことを理解してみていなかったということだ。そして、子供は教師に自分の状態を十分に伝える言葉を持っていない。何が子供の為になるのかは、大部分で大人に左右されるのが現状なのだろう。
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